CECILな1日
古都奈良の、セレクトショップのオーナーがその日に入荷したファッションアイテムやら、 2008年に再燃してしまったジュリー・沢田研二さんの事、そして大好きなハワイについて書いています!
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なんで服屋がアルゼンチンタンゴなのか?  その③
1978年からジュリーに付いた

守青年は19歳になっていました。

付いて、最初の曲は「サムライ」

上半身素っ裸のジュリーの肌に

守がバラの絵を描いて行ったそうです。

その作業を命じられたときは緊張で

手が震えたと言ってました。

ええなぁ。。。。

言うてくれたら変わってあげたのに~(@_@;)

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それに守本人も、私が思ってた通り

ファンの女の子に認知度も上がり(笑)

「マモちゃ~ん」とか「マモルく~ん♡」

の声が聴かれるようになって来ました。



私は1978年には全国に42店舗を構えた

チェーン店のアパレルの

バイヤーのアシスタントとして就職。

(美容師になろうかとも思ったけど(母が美容院経営)

修行する根性なし((+_+))



その頃、地元の友人がローディに入ったり(

知り合いが多くて遠慮した)

やっぱり就職してからは「

仕事を休んでまで」はジュリーに行かなくなり

頻度はかなり減ってきました。


このの写真はあの頃ジュリーが夏のツアーの前に行なってた

「つま恋」での合宿風景。

お揃いのショートパンツが良かったのと

アクティブな4人組が面白そうやったらしく

ジュリーを撮影してるカメラマンさんが

私たちを撮ってくれたりのそんなエピソードもありました。

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そしてこの頃、最高に忙しかった

沢田研二に付いたマモルは

それこそ寝る間も無かったそうで

お風呂のないアパートでの生活は

それはそれは大変やったろうと思います。


つづく・・・
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